十一月の朝、Birch Zone Crestの共有緑地には薄い霜が降りていた。白樺の幹が朝光を受けて白く輝き、落ちきれずに残った黄葉が風にゆれている。この景色を守るために、開発者・桐島 誠一つの区画——およそ二千四百万円分の売上——を手放した。なぜそんな判断ができたのか、という問いはいまも訪れる人の口から自然と出てくる。桐島 誠一「損をしたとは一度も思っていない」と静かに言う。その言葉の重みを確かめるために、計画の原点から入居後の暮らしまでを丁寧に辿った。
区画図の上の赤い線——削除された三つの番号 ¶
二〇一九年の晩秋、桐島 誠一には二種類の区画図が並んでいた。一枚は従来どおり白樺林を伐採して三十二区画を確保したプラン。もう一枚は林の大部分を残し、二十九区画に絞ったプランだった。当時の市場では一区画あたり八百万円前後が相場で、三区画の差は試算上、約二千四百万円の売上減を意味した。「数字だけ見れば答えは明らかだった。でも、白樺が消えた後の丘をイメージしたとき、そこに住みたいとは思えなかった」と桐島 誠一。決め手になったのは、現地調査で偶然出会ったひとつの光景だった。早朝六時、霧の中で三本の白樺が並んで立ち、その根元に野生のスズランが群生していた。その朝から、伐採案は静かに机の引き出しへしまわれた。
植生調査が示した、林の「古さ」 ¶
削除の判断を後押ししたのは感傷だけではない。地元の植生コンサルタント・森田章子氏による現地調査が、林の生態的価値を数値で示した。調査によれば、残された白樺群のうち幹周りが八十センチを超える個体が十七本確認され、推定樹齢は四十年から五十五年に及ぶ。この年齢層の白樺は根系が深く、斜面の保水機能として機能しているうえ、アカゲラやシジュウカラなど六種の野鳥の営巣が記録されていた。「伐ればコストは下がる。でも地盤の保水力も、鳥の声も、四十年分の時間も、二度と戻らない」と桐島 誠一。この調査結果は区画計画の見直しだけでなく、のちに共有緑地の管理規約を作成する際の根拠資料としても使われた。
設計者・野口亜季との対話——緑地の輪郭を決めた三週間 ¶
区画削減が決まってから、ランドスケープデザイナーの野口亜季が合流した。野口は「林と住宅地の境界は柵ではなく、木の密度で作りたい」という考えを持っていた。具体的には、林の南縁に沿って在来種の低木——ガマズミ、ヤマブキ、エゾノコリンゴ——を帯状に植栽し、視線を緩やかに遮りながら歩けるような小径を設けた。幅は最狭部で一・八メートル、最広部で四・二メートル。舗装はしない。踏み固められた土の上に落ち葉が積もることで、年々表情が変わる道にする意図があった。桐島 誠一現場で境界線を歩きながら調整を重ねた三週間は、季節でいえばちょうど初雪の前後にあたる。「雪が積もると、木の立ち姿が全部見える。あの時期に歩いたのは正解だった」と野口は振り返る。
入居後一年——住民が自然に作り始めた「朝の慣習」 ¶
最初の入居から一年が過ぎた五月、共有緑地に変化が起きていた。誰が言い出したわけでもなく、週末の早朝に数人の住民が林の小径を歩く習慣が生まれていた。最初は単に散歩だったが、やがて顔見知りになり、立ち話が生まれ、子どもたちが白樺の根元でどんぐりや落ち葉を集め始めた。入居者の一人、中村律子さん(四十二歳)は「引っ越してくる前は、隣の家の人の名前も知らないままになると思っていた」と語る。管理組合の初回総会では、緑地の手入れを住民が輪番で担う「グリーンワーク」の仕組みが自発的に提案され、参加希望者が二十九世帯中二十一世帯に上った。桐島 誠一も驚いたのはこの数字だったという。
数字で見る三年後——区画削減は「損」だったか ¶
入居から三年が経過した時点で、Birch Zone Crestの中古流通価格は近隣の同規模開発と比較して平均八・三パーセント高い水準で推移している。仲介業者のデータによれば、問い合わせの動機として「緑地・白樺林」を挙げた購入検討者は全体の六十一パーセントにのぼる。桐島 誠一「売却価格の差益だけで考えれば、三区画分の損失はほぼ回収できている計算になる」と静かに話した。だがそれ以上に彼が重視するのは、管理組合のグリーンワーク参加率が三年後も七割を維持していること、そして毎冬の「白樺のともし火」——住民たちが林の小径に小さなランタンを並べる夕べ——が自然発生的に続いていることだという。
桐島 誠一う人物——北海道の丘で育った視点 ¶
桐島 誠一九七四年、北海道・富良野市の農家の次男として生まれた。幼少期を白樺とカラマツの混交林に隣接した土地で過ごし、大学では造園を学んだのち、大手ハウスメーカーの区画開発部門に十二年勤務した。独立したのは四十歳を過ぎてからで、「大きな組織では、木を残す提案が通るまでに稟議が四つある」と笑いながら言う。Birch Zone Crestは独立後三件目のプロジェクトで、前二件で積み上げた信用と自己資金をもとに、はじめて「自分が本当に住みたい場所」を基準に設計した開発だと話す。事務所は札幌市内の古い倉庫を改装した一室にあり、デスクの上には今も最初の区画図二枚が、並べて額装されて掛かっている。
林は「管理」されるのではなく「付き合われる」——これからのこと ¶
白樺は一般に寿命が七十年前後とされ、Birch Zone Crestの林はすでにその半ばを過ぎている。桐島 誠一いま、次世代の樹木をどう育てるかという長期計画を住民と共有し始めた。林の縁に十本のシラカンバの幼木を植え、古木が倒れた後も林の骨格が維持されるように準備を進めている。「木は建物と違って、竣工がない。ずっと動いている」と野口は言う。住民たちはその変化を季節ごとに観察し、年一度の「林の記録日」に写真と観察ノートを持ち寄る。Birch Zone Crestが育てているのは住宅地だけではない——そんな確信が、晩秋の白樺の幹の白さの中に静かに宿っている。
十一月の夕方近く、桐島 誠一の窓から外を見ながらこう言った。「あの三区画を売っていたら、いまここに何があったか、もう想像できない」。白樺林は今日も静かにそこに立ち、朝の散歩をする住民の足音を根の下で聞いている。Birch Zone Crestの物語は、区画図の上で終わったのではなく、そこからようやく始まったのだ。